デルガドインタビュー

http://www.velonews.com/race/int/articles/11233.0.html
長いです。が、まだ前半で後半があるそうです。
とりあえず前半部分、ツールで優勝してから18年、今はスペインの国営放送で自転車レースの解説をされているそうです。
《インドュライン時代から自転車レースに変化が現れてランス時代にそれが強固なものになったように思うけど》
確かにインドュラインの時代からレースに重大で根本的な変化があった(世代の大まかな流れはデルガドら→インドュライン→ランスです)選手は以前よりずっと少ないレースしか走らなくなったね。僕達の頃は1年で120日位走ったけど。今多くの選手はツールに照準を絞ってレースを設定する。レースの威信を守るためスターの存在は欠かせない。小さなレースでも同じで、それは自転車界のためでもある。今はスターがわずかなレースにしか出ないのが残念。以前はビッグスターが1年中ヨーロッパ全体のレースで走った。チーム予算も少なく選手の給料も少なかったから生計を立てるためクリテリウム等に出場する必要があった。僕の頃は移動は全て車、パリからスペインでも、今は飛行機で移動していいホテルに泊まれる、これは良い変化だね。残念なのはスター選手がクリテリウムにあまり参加しないこと。いくつかのチームはそれを禁じてる「もし落ちて怪我したらお金を失う」って。

ランディスのケースはツールの陰謀説ってどう?7年もアメリカに支配された状態をヨーロッパに回復する必要があるって?》
100年の歴史をもつヨーロッパの自転車レースの威信はどこにも動かせないよ。ヨーロッパがアメリカを恐れるとは思わない。ランスの偉大な勝利はヨーロッパで起きたこと。アメリカのスポンサーチームでもツールで勝たなければならない。それはアメリカ、日本、オーストアリアで勝つこととは意味が違う。(なぜ日本?)

《またエキサイティングな選手が出始めたね》
インドュラインやランスのような偉大なタイムトライアルリストが存在する場合レースはどうしてもエキサイティングではなくなる。サイクリングのスペクタルはレースを活気付ける攻撃するライダーが存在すること。ヴィノクロフのようなね。今の大きな問題は無線にあると思う。監督はいつも指示し、多くの選手が監督の指示を仰ぐからよくアタックが遅すぎる状況になってる。このシステムが入る前は問題は脚の調子がいいかどうか、脚の調子がいいならアタックするのみ。今は監督があまりも多く選手をコントロールするけど、まだいくらかかのライダーは耳を傾けないでイヤホンを後ろポケットに入れたままアタックするね。昔はスタートの時点で指示を与えるだけで終わりには癇癪が飛んでくる程度。例えば選手にギャップを伝えるためや水や食料を補給するために無線を使うことは有用だと思うけれど、サイクリングの精神の多くを取り去ってしまったと思う。

前半はこんなところです。無線が入ってからレースが面白くなくなったという意見はよく聞きますね。逆に言えばより頭脳戦になったということかな。そうそうツール7YerasBoxのデルガドが優勝した年の市川さんの紹介文にはこんなことが書かれています。「山岳ステージでのマイヨジョーヌを着てのアタックは一見の価値あり。何も考えずどんどん行く!作戦よりノリのラテン。熱い!」(笑)